甲子園の思い出

 昭和52年8月1日の記事(福井新聞より) 福商甲子園へ 4年ぶり比叡山を破る

4年ぶり比叡山を破る
【福商甲子園へ 4年ぶり比叡山を破る】
第五十九回全国高校野球選手権大会福滋地区予選は、三十一日大津市の皇子山球場で行われ、本県代表の福井商が11-2の大差で滋賀県代表の比叡山を破り、四年ぶり三回目の優勝を遂げた。福井商は八日から甲子園で開かれる選手権大会に出場する。
福滋大会は四十九年から開かれ三国、三国、福井がいずれも優勝し、最後の福滋大会の栄冠も福井商に輝き、全部県勢が手中に収めたことになる。

 平成52年8月1日の記事(福井新聞より) 福商"メガトン打線"さく裂 8回打者一巡で6点 比叡山4投手に16長短打

8回打者一巡で6点
【福商"メガトン打線"さく裂 8回打者一巡で6点 比叡山4投手に16長短打】
【評】福井商打線が本領を発揮したのは八回だった。それまでも単発的にヒットは出ていたものの本来の姿ではなかった。じりじり追い詰められているような、なんともいやな試合展開だった。それが七回沖島の貴重な"一発"で沈滞ムードを一掃し、八回の猛攻につながった。この回打者一巡、6安打をたたみかける豪快な攻撃で比叡山の息の根を止め同時に甲子園行きの切符をも手中に納めた。
福井商は初回、球威を欠く比叡山の先発長谷川に早くも襲いかかった。先頭の奥田が四球で出た後、藤沢、沖島に連打が飛び出しわずか四球で長谷川をKO、後続は代わった西出に抑えられたがこの回2点を奪い優位に立った。二回にも岩堀の絶妙のバント安打を足掛かりに奥田の中前タイムリーで1点を追加、このあたりは福商の楽勝ペースだった。
だが三回以降、左腕の西出の前に打線は沈黙してしまった。西出は大きく割れるカーブを主体にした典型的な打たせて取るタイプの投手。県内では見られないタイプだけに、福商打線にはとまどいがあったのかも知れない。各打者とも大きなカーブに全くタイミングが合わず内野ゴロが目立って多い。散発の安打が出るものの後続がなく全くの沈滞ムード。
これに対し比叡山は徐々に追い上げてくる。エース安川はやや力み過ぎて制球を乱し初回に1点、その後よく立ち直り伸びのある直球と決め球のカーブ、シュートを武器にほぼ完ぺきのピッチングを見せたが、五回につかまった。中井、多谷、嶌といったところに安打を許し1点差にまで詰め寄られた。
しかし福商のメガトン打線はいつまでも沈黙していない。七回、内野安打の藤沢を一塁において、当たり屋沖島が中越えの大二塁打。藤沢がホームを突いた。この沖島の貴重な一発が導火線となって福商打線は八回、一気に過熱。岩堀の内野安打と2死四球のあと、安川、藤沢、沖島の二塁打を含む連続5安打が飛び出し一挙に大量6点をもぎとり勝負を決めた。
バックの援護で余裕が出てきた安川は後半、比叡山の早打ちにも助けられて快調なピッチング。最終回松川に三塁打を許したもののぴたりと後続を断って勝利に大きく貢献した。
【北野監督】
一、二回に得点しながら、その後なかなか加点出来ず非常に苦しかった。しかし七回の沖島の一発が効いた。八回に大量点を取ってある程度いけると思ったが勝負はゲタをはくまでわからないので最後まで引締めていった。比叡山は打撃がシャープでよいチームだった。甲子園でも頑張りたい。
【沖島主将】
夢のような気持でまだ信じられない。3-2に追い上げられた時にはいやな気分だったが比叡山の走塁ミスなどで助かった。安川は県予選の決勝より出来はよくなかったがよく投げてくれた。甲子園でも練習通りの力を発揮してよい成績を残したい。

 昭和52年8月1日の記事(福井新聞より) 絶好調で迎えた"福滋" 福商の足どり

福商の足どり
【絶好調で迎えた"福滋" 福商の足どり】
四年ぶり三回目の甲子園出場を決めた福商ナインは五色の紙テープが舞う中、北野監督を胴上げ、続いて橋本部長、沖島主将、安川投手を胴上げ。「ワッショイ、ワッショイ」歓喜の声がグラウンドに響き渡った。県予選の直前にエース安川が肩の故障を訴え、主力選手にけがが続出。苦しい立場に追い込まれながら、一戦一戦勝ち抜き、ようやくつかんだ"栄光"だけにナインの喜びもひとしおだった。
県予選で福商は優勝候補の筆頭に挙げられていた。春の大会で安川が見事な投球を披露し、打線も目を見はるばかりのものを持っていた前評判は高かった。しかし北野監督の表情は今ひとつさえなかった。安川が県予選一週間ほど前に肩の痛みを訴え投球が出来なくなったことや、主砲の平井、沖島といったところが首や足の故障で完調ではなかったためだ。
苦しい大会の幕開けだった。だが試合のたびに大きくたくましくなっていった。県予選第一戦で若狭を退け、続く高志にも大勝。準決勝からは安川も気力で登板し北陸を振り切った。決勝では敦賀と対戦。もう平井、沖島の故障は完全に回復。安川までも春のころのベストピッチングに戻っていた。こうなれば福商には怖いものがない。敦賀を大差で退けて福滋大会へとコマを進めた。
福商は絶好調で対比叡山戦に臨んだ。「日頃の力を出し切れば負けるはずがない」そんな余裕さえ感じられ、試合前のナインの表情はいつになく明るかった。甲子園をかけた決勝の前とはとても思えないリラックスムードが漂っていた。
福商ナインは伸び伸びと戦った。持ち前の打力をいかんなく発揮、安川も比叡山打線をよく押さえ込んだ。11-2。持ち味をフルに発揮した会心の勝利であった。選手はわれを忘れたように胴上げを続けた。夢にまで見た甲子園の土が踏める。
この日の試合で二個のセフティバントを決め大きな得点源となった岩堀「最高の気分です」と喜びを抑えきれない。藤沢も「もう何も言うことはないです」と笑顔が絶えない。「ようやくやりました。次は甲子園だ」とガッツポーズを作る平井。小嶋も「今日は打てなかったが甲子園でこのお返しをします」と言う。沖島、奥田、鈴木、竹内、安川・・・晴れの甲子園出場を果たした福商ナインの胸には苦しかった戦いの跡がすばらしい思い出となってよぎっていったに違いない。

 昭和52年8月1日の記事(福井新聞より) 人物点描 学力下がればすかさず交代

福滋大会で優勝した福商野球部監督
【学力下がればすかさず交代】
ゴォーと地鳴りがした。「地震だ!」父親の清二さん(67)は当時三歳の北野さんを抱いて、あわてて逃げた。福井地震だった。その時二人は野原でキャッチボールをしていた。北野さんと野球の付き合いは永い。
野球がしたくて松岡中から敦賀高へ。そして龍谷大では主将も務めた。だが優勝経験は一度もない。いつも準優勝。もちろん甲子園に出場したこともない。ところが四十三年に福商の監督になり、四十六年から三年連続春の大会に。甲子園へは夏の大会も含め今回で六度目になる。
北野さんは選手からは二重人格と言われる。ユニホームを着るとがらりと人格が変わる。練習の厳しさには定評がある。選手は「怖い人だ」と言う。その厳しさは選手の私生活にまで及ぶ。各ポジションに二人ずつ用意し、成績が下がったり非行があるとすかさず代える。「むだなようだが、その方がチームのためになる」福商野球部員はマジメとの周囲の評判を生む。
ユニホームを脱ぐと商業とタイプを教える先生だ。八十五キロの体重でいつも生徒を笑わせる。野球部の納会などでは歌をうたうことも。古く渋い歌ばかりだが、そこに選手はますますひかれる。素顔の優しさはユニホーム姿を忘れさせてしまう。
野球一筋だった。家では酒を少し飲む程度。「無趣味というか、不器用なんです」一歳八ヶ月になる女の子がいるが、北野さんには日曜も休日もない。毎晩帰りも遅い。だが家では野球の話は全くしない。家族の人は試合を見たり後援会の人から話を聞いて、初めて結果を知るという。北野さんの野球に対する厳しさは、そこにも現れている。松岡町葵、三十一歳。

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